本質につながって生きる

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クンルンすると

クンルンを始めていろいろ考えることがある。その一つがお釈迦様のこと、お釈迦様も自らの統合を果たした一人なんだろうなあと…それで多くの後進を育てた。でも顕に残っているのは言葉で表されたお経(如是我聞で始まる)だ。つまりそれはそれぞれの後進がどうお釈迦様に指導を受けたかっていう言葉で聞いた部分が残っている。でも実際はお釈迦様は一人ひとりに即してどういう修行を行ったらいいのかっていうことを手取り足取り教えたんだろうし、エネルギーを送ったりとかそういうこともしたのだろう。そういう具体的な修行の仕方みたいな部分は言葉では伝えきれない、その言葉では伝え切れない部分こそが本当は大切なんだろうけど、ほとんどの宗教って心で信じるという部分のみ大きくて実践行のところが不足してるからあんまり本来の意味をなしてないんだろうなあとか考えてしまう。
 
 たとえば仏像がよく結んでいる印なんていうのは実はエネルギーワークのために行っていること修行中の姿なんだということをつくづくと感じた。

 今日は立っててもゆらゆらとクンルンめきたくなったりして「おっと、これはまずい。」なんていうときもあった。

 それにしてもほとんどの仏教の修行にしても大変過酷なものが多いいように思われるが、クンルンはほんとにこういっちゃあなんだけど、楽して楽しくできる。全くありがたい。

 あと何かを信じなければならないとかそういうことがなくて、信じるものは自分の中にすでにあるというスタンスでいいということもありがたい。何しろ自分の中にあるわけだから何にもほかを探す心配はいらない。
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Commented by 陰☆あめとむち☆陽 at 2007-12-11 23:14 x
他人の体験した「悟り」や「解脱」を学ぶのか、それとも自らが「覚醒」を体験してゆくのか・・・
人の数だけ道があり、すべての道はわが家に通じる、と言います。それぞれの道をそれぞれのやり方で、最高のタイミングでクンルンは示してくれるのでしょうね。
by whitefullmoon | 2007-12-10 21:36 | クンルンネイゴン | Comments(1)

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